大城京子(おおしろきょうこ)プロフィール
 岩手県にうまれる。結婚により沖縄へ。二児の母でもあり専業主婦でもある。
 夫の転勤で各地へ引っ越しをするなか、現在のコープおきなわへ加入。運営委員、ブロック理事などを努め、現在はコープおきなわ副理事長。生協活動をする中で「出会い」に触発され現在も活動中。
 2004年からは県ボラセン運営委員も務める。フットワークと行動力が魅力的。

 「お互い様」からボランティア活動へ
独身の頃を除き三度目の居住地になる今も、そして前も、引っ越すとすぐにご近所から生協への加入のお誘いがあり、地域に関するいろいろな情報が入手出来たのは子連れにとってはとてもありがたい事だった。
 沖縄へ引っ越しになったときも、夫の身内以外の知り合いのなく、兄嫁に誘われるままに生協に加入し、商品も知らないままに分けて貰う。今から考えると、なんと主体性のないお付き合いだったことかと思う。
 それが変化したのは子どもをもってからだった。始めての子育ては一生懸命と裏腹の結果の連続。そこで先輩達の上手な手抜きを教わる。ただの手抜きではない、「少しでも安心で良い物を与える」と言う立派な注釈入りである。それが生協商品の知識である。知識が増えることで手を抜くという罪悪感から解放されていき、手作りだけにこだわらずに食べることを大切にする余裕が持て子育ても楽しめるようになっていった。

 子どもを2人連れての転勤になった時は、着いた翌朝から春の大雪に下の子の水疱瘡、荷物は届くし今日中に寝る体制まで整えないといけないという使命感。夫は仕事に。幸いにも社宅暮らし、近所の呼び鈴に救いを求めた。お互い様と人手も情報も惜しみなく注いでいただいた。
 「お互い様」こそが「協同」の原点であり、暮らしの安心の原点だと感じ感謝している。人が集えば集う程に知識や情報が行き交い、お互いの得意分野で補いあえていたように思う。話し相手になり聞いてあげるだけで喜んでもらえたり、何の気負いもない日常の中で、今自分にできることをしたいと思えることをしていただけでもあり、そこには、出会いのもたらす喜びがあった。PTAや自治会での活動もしていたが、どれも「人との出会い」とその「つながり」から関わりを作っていった。

 特に、生協の人との出会いには感動があった。小学校区毎にあった「運営委員会」から、2市1町からなる配達区域でくくられた「ブロック委員会」に参加したときのこと。みんな専業主婦であるにも関わらず、食・環境・福祉・平和と幅広い関心を持つばかりか知識も豊かであり、ボランティアにも関わらず積極的な意見交換のうえ企画・運営をしていた。「この人達はいったい何者?」と驚いたのが第一印象だった。地縁でも血縁でもない、自分自身の生活からどんどん世界がひろがっていく、そのような経験をしたのは初めてでもあった。
 自分のしたいことを目標に据えて活動している人々、「必要」を感じ行動に移した人々、そんな人たちとの出会いに感謝して私も活動を始めた。感動的な出会いと体験に感謝して「子育てひろば」の普及と子育て支援の研究、我が子がお世話になったことをきっかけに長野と沖縄の子ども達の平和と文化の交流を目的としたホームステイの世話等、自身の活動を通しても参加者との出会いを大切に進めている。

 ボランティアと聞くと「自分には何ができるか・・・」と考えがちになり最初の一歩が難しいという人が多い。まずは一緒に居る・見る・感じる機会が大切に思う。人は「人との出会い」によって触発され、その時に出会った人を鏡にして自分を発見し自発的な想いや行動へとつながり、日常の中に埋もれがちな人間性を揺り動かされる。そんな目的を持って行動する人々との出会いがボランティアとして活動を始めるきっかけとなることを学んだ。


 

 地域との協働による県産品の開発

 「生協」では、「県産品」にこだわった商品開発とともに、事業のプロセス自体が人びとの暮らしを支えるよう展開してきました。しかし、福祉施設との連携は贈答品の箱詰め程度にしかできていませんでした。
 障害者自立支援法が施行され、障がいのある方が少しでも経済的に自立できるように、そして意欲をもって働けるように「定期の仕事がいただきたい」と相談が寄せられるようになりました。しかし、生協が「依頼できる仕事」と施設が「できる仕事」が上手く一致するものがなく経過していました。

 30周年を迎えて「30周年・30品目・沖縄にこだわって!」というテーマで商品開発を進めることになりました。商品選定が行われていくなかで「福祉施設との連携を考えようと話していたところ、商品開発の過程で出る副産物で石鹸の開発ができそうであり、そのノウハウを持つ授産施設があるということがわかりました。『とうみつせっけん』の誕生です。生産量の不足を補うために、発売開始の時期を遅らせることで県内全域での発売もできました。

 その施設の方々の「『私たちはこれを作っています』と誇れる商品ができた」という発言が他施設へと広がり、「私達も一緒に仕事がしたい」と「仕事の依頼」が各施設から届くようになりました。このネットワーク化が「できること」の可能性を広げる結果にもつながったのです。つまり、1ヶ所では数個しかできない商品も、タッグを組めば販売するために最低限必要な個数を生み出すことができ商品化の幅が広がったのです。
 さらに、タッグを組んでも短期・大量生産は望めない現実の中で考え出されたのが『正月用しめ縄づくり』でした。継続的な仕事と収入を求めるのであれば「信頼して買っていただける商品」づくりをしなければならない。半年かけて作成できた分を、店舗で限定販売をすることになりました。「上達とともに数量を上げていきましょう」という継続的な仕事作りへのチャレンジとなりました。複数の施設同士が仲間をつのり、仕事を教えあい、分け合うのです。この試みは(財)沖縄県セルプセンター(※1)のコーディネートも得て全県的なネットワークへと広がりました。また、販売開始日に、生産した彼・彼女たちが店舗で直に販売することで、買ってくださる方々とふれあうことができ、今後への「意欲」にもつながりました。

 初年度ということもあり、予測の生産量には達しませんでした。しかし、残された多くの原料はお盆用のガンシナーへと姿を変えました。このアイデアによって、店頭ではガンシナーを「懐かしむ人」「全く知らない人」との文化交流の場ともなりました。
 その後も、施設が農産物の生産・加工・瓶詰め・ラベルという製品化まで行った「こーれーぐーす」の『からさんどー』の開発や、地域の老人たちの摘んだ「アーサ」を授産施設で砂やゴミを取り除く手作業を加え、その地域の店舗のみの限定販売をするというような取り組みへとつながりました。地域のなかの小さな力を足しあい、量は少なくとも「顔の見える信頼できる商品開発」へと、地産地消への確かな一歩となっています。
 NPOや社会福祉の現場とともに、そこにいる人たちならでは、そしてその地域ならではの「小さな経済」を作っていく・・・。生協のような協同組合(※2)だからこそ、組織内協働だけではなく、地域との「協働」の力にもっと貢献していくことができると考えています。

※1 (財)沖縄県セルプセンター
障がい者団体や作業所などで生産された商品の販売ルートの開拓や商品開発の支援を行っている。

※2 協同組合とは
【共同で所有し民主的に管理する事業体を通じ、共通の経済的、社会的、文化的ニーズと願いを満たすために自発的に手を組んだ人々の自治的な組織】
国際協同組合同盟(ICA)の定義より。世界中のあらゆる協同組合(生協、農協、漁協・・・)が加盟

本サイトはリンクフリーですが、文章・画像等の無断転載を禁じます
Copyright(C) 2007 沖縄県ボランティア・市民活動支援センター. All rights reserved.