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 県ボラセンでは、市民活動に関わる人を、『ボランティア(自発的)な人=ぼらんChu』と呼び、その人の活動に対する想いなどを取材しています。ここでは、過去に取材した「ぼらんChu」の皆様のインタビュー記事を掲載しています。

■ ぼらんChu

 

自然環境にやさしい暮らしを送る

ちゅらさ工房 仲西美佐子さん

 

悪質商法のない沖縄を目指して相談員がNPO を立ちあげ

消費者センター沖縄代表 小那覇凉子さん

 

勝ち負けにこだわらず、気持ちを言葉に

メンズリブ沖縄 濱川 幸夫さん

 

NPO との出会いをきっかけに

療育ファミリーサポートほほえみ サポーター 知念美也子さん

 

ニーズが入ってきたときに、スイッチが入るようにしておきたい

琉球大学ボランティアサークル 佐脇広平さん

 

大切なのは出産するその時ではなく、その過程です

私らしいお産を考える会 安里千恵子さん

 

「ゆったりと子どもに関わることができるようになりました」

NPO法人おきなわCAPセンター、沖縄県職員労働組合女性部 宮国 幸子さん

 

身体でおぼえることがいいですね

那覇災害救援ネットワーク 救急救命士 松田 香代子さん

 

自然保護って、ほんとうは人間に働きかける活動なんですよ

佐敷干潟と遊び学ぶしあわせまねきの会 鹿谷麻夕さん

 

簡単に言うと、一歩踏み出すことです!

NPO 法人 調査隊おきなわ副隊長 金城 健一さん

 

究極の目標は森をつくること!

おみん農園 宮本陽一さん

 

ちゅらさ工房 仲西美佐子さん

 

 

そのときとれたものを売っていく、百姓になりたい

 恩納村で、廃油せっけんづくり、ティールーム経営、畑人、体験教室の先生、環境カウンラーなど環境関連の取り組みを行い、自然環境にやさしい暮らしを送っている仲西美佐子さんをご紹介します。

●仲西美佐子さんの暮らし
 沖縄自動車道屋嘉インターを降り、北向けに国道58号線を走る。南恩納のバス停を過ぎた先に、コンクリートうちっぱなしの渦巻き状の建物がある。そこが仲西さんが経営する「ちゅらさ工房」。ここは廃油せっけんをつくる作業場とティールームがある。
 ティールームでは、仲西さんやその仲間の畑で穫れた野菜を中心とした、添加物のない安心できる食材を使った食事・飲み物が出されている。また、仲西さんがつくる廃油せっけんをはじめ、しょうゆ・みりんなどの無添加調味料、お茶、手作りジャム、歯磨き粉など人の体や自然環境にやさしい商品が売られている。
 ちゅらさ工房の裏手には、畑や体験工房があって、地場の有機野菜を利用して古くから伝わる沖縄料理や、天然素材を活かしたさまざまなものづくりを行なう教室を行なっている。仲西さんは現在、畑仕事を中心としながら、これらの場所を活用し、自然環境にやさしい暮らしを提案している。

●なぜ自然環境にやさしい暮らしを提案するようになったのか
 「コミューンみたいな暮らしがしたかったのよ」と仲西さん。けれども、昔からこのような暮らし方をしていたわけではなかった。有機農業だけでは食べていけないという思いから「お金を儲けるため」と割り切って近代農業をやっていたそうだ。祖父から引き継いだ土地で、堆肥なども使われており土作りはしっかりできていたらしいが、化学肥料を入れ、農薬も使っていたという。
 そんなある日、友達から、「何で肥料をちゃんと入れているのに農薬をかけるの?」と訪ねられたそうだ。この問いかけによって、心の中に踏ん切りがついたそうだ。勉強会に参加したり、様々な人との出会いも相まって特に、沖縄大学に赴任してきた宇井純先生に石けんの作り方や「水をきれいに保つことが何かあった時の備えになる」と水の大切さを学び、これまで使い心地が悪くて他人に勧めることができなかった石けんを自分自身でつくって広めるようになっていったそうだ。
 環境保全の活動を行うようになっても、すぐには近代農業のスタイルは変えられなかった。しかし、「ここでできたものを食べるということは、大量生産・大量消費の社会をよしとすることになる。自分の生活をみなおそう。生活から社会のしくみを見直そう、変えよう。」と意識がしだいに変わり、今のような循環型農業を行なうようになった。

●有機・無農薬栽培の農業スタート
 そのころ「食をとおして生活を考える風と土との会」という生産者の集まりに参加し、有機・無農薬野菜の販売を共同で行なうようになった。そのころを振り返って、「頭でっかちの農業になってしまっていたなぁ」と苦笑い。経済を優先させていない(させたくない)から、作りやすい作物をつくる(仲間)とか、あっちがつくっているものを作らないようにしよう、など心の負担が大きくなったり。販売量が増えるにつれて、作物の量も確保しないといけなくなってきて・・・この会は10年前に解散したそうだ。
 現在は、Chu12号でも取り上げた「やんばる七色ねっとわーく」のメンバーとして、5名の生産者仲間といっしょに、約30件へ2週間に1度安定して野菜を届けれるようになったということだ。「技術がともなってきたからかな」とつぶやく。

●今後は・・・
 「そのときとれたものを売っていく、百姓になりたい」という仲西さん。
 自分らしく、環境にやさしい暮らしを送り、自分が培ってきたものを他の人に伝えていくこの暮らし方こそ「ボランティア的」と言えるのではなかろうか。

【ちゅらさ工房】 
住所:恩納村字恩納6486
電話:098−966−2286
営業時間:午前11時?午後7時
定休日:水・木曜日


消費者センター沖縄代表 小那覇凉子さん

 

 

詐欺や悪質商法がない、安心して生活できる沖縄にするのは、
実際に相談を受けてきた私たちの役目

 年間1万3千件、沖縄県県民生活センターには消費生活に関する相談が寄せられている。今回のボランChuは、「NPO法人消費生活センター沖縄」代表の小那覇凉子さんを紹介します。

●活動の原点
 「毎日、いろんな相談に対応していると、トラブルが深刻になる前に誰かに相談することが必要と感じます。」
 消費者センター沖縄は、2004年に設立されたNPO法人。今年度からは沖縄県県民生活センターの相談業務を受託して活動している。小那覇さんが、消費生活に関する活動を開始したのは2000年から。沖縄県県民生活センターでの嘱託相談員として働き始めたことがきっかけだった。嘱託相談員は継続5年間までしか働けない。これまで積み上げてきた知識や相談対応力をどうにか社会のために活かすことができないかと考えた。社会では振り込め詐欺や悪質商法などのトラブルが増えるなか、相談業務とは別に自主的に活動を開始する。「最初は出前講座を実施したりしていました」と当時を振り返る。

 消費者センター沖縄は、現職の相談員やすでに退職した元相談員で構成する「消費生活問題研究会」が前身。日頃寄せられる相談事例について、相談員同士話し合い、その成果を、自主的に地域での出前講座に活かしていた。
 仲間と勉強会を続けていくうちに、この知識を現場で活かすためには組織として活動をしていくことが大切と小那覇さんは感じた。「一人前の相談員になるためには5年かかります。でも、県の嘱託相談員としては、5年間しか働けないんです。せっかく一人前になったときに現場で働けない。そこがつらかったです」。
 「詐欺や悪質商法がない、安心して生活できる沖縄にするのは、実際に相談を受けてきた私たちの役目」。相談員のそうした想いが、小那覇さんの現在の活動の原点でもあり、NPOとして活動していくきっかけにもなった。

●NPOとしての活動
 現在は、消費生活センター沖縄の代表として日々寄せられる相談に対応しながらも、消費生活や契約に関する出前講座や寸劇を通して啓発活動も行っている。「どんなに講座を開いても言葉だけではなかなか伝わらない。そうであれば、寸劇という形でおもしろくしながら伝えることをしようと仲間で劇を練習したんですよ」と話す。「劇は、子どもからお年寄りまで幅広い年代にとって伝えやすいですからね」。
 「特にお年寄りからの相談は心が痛みます。お金は戻ってきても、被害にあったお年寄りはもう年だから弱ってきているのかなと自尊心までダメージを受けてしまい、その部分は何も解決できないという限界もあります」と話す。

●現在、活動をしていて困っていることは?
「相談に対応できるスタッフがまだ足りないことですかね」。相談員になるためには、原則として消費生活相談員もしくは消費生活アドバイザーの資格を取得することが条件になる。「年に1回、それぞれ試験があります。今後は、市町村での相談窓口の設置要請にも力を入れていきたいので、もっと相談員を増やしたいです」と意気込む。「でも特にNPOとして活動をはじめて、賛助会員になる人は増えました。今までにはなかった人脈もひろがっています」と喜びも。
 小那覇さんの目指す組織は「いろんな人にとって魅力のある組織」とのこと。そんなボランChu小那覇さんから、読者へ一言。「私たちの活動は、日々寄せられる相談に対応していくという地味な活動で す。派手なイベントなどはないですが、たんたんと続けていくことが大切かなと思います」と話しをしてくれた。

 消費に関するさまざまなトラブルは誰もが1度は経験したことあるかもしれない。小那覇さんは、業者に対する働きかけだけでなく、また、消費者に知識を与えるだけでもなく、消費者が自ら立ち上げって声を出していくことを目指し、日々、相談を受け続ける。

NPO法人 消費者センター沖縄
那覇市宇栄原1−27−17
TEL&FAX 098 −857 −4598

沖縄県県民生活センター
那覇市西3−11−1 三重城合同庁舎4階11
 
相談電話
098 −863 −9214
(月.金:午前9時.午後4時まで)

メンズリブ沖縄 濱川 幸夫さん

 

 

勝ち負けにこだわらず、気持ちを言葉に

 「苦しくても弱音を吐かない。競争には勝たなければならない」など、男だから〜しなければ、ということよくありますよね。今回のぼらんChuは、そんな男らしさにとらわれない生き方を男性に提案する、メンズリブ沖縄の濱川幸夫さんを紹介します。

●きっかけ
 濱川さんがメンズリブ沖縄で活動をはじめたのは、2001年9月頃から。妻(パートナー)との会話がうまくはずまないことに悩んでいたとき、沖縄県女性総合センターで開催された講演会のなかで、メンズリブ沖縄のことを聞いたことがきっかけだった。
 メンズリブ沖縄は、2000年に発足した団体。社会のあらゆる場面で求められる男らしさや、男らしく振る舞わなければならないことに疑問をもち、もっと多様な生き方が認められる社会を目指し活動する団体。

濱川さんは、2001年からメンズリブ沖縄のメンバーとして活動を続けている。活動の中心は隔月で開催される学習会に参加すること。参加して、会の運営や、ジェンダーについて参加者同士、学びを深めていく。メンバーは男性約10名。日常生活のなかでの性差に関する疑問について安心して語る場でもある。

●男ならではの会話
 「ドライブ中、助手席の妻が突然?どうして何もしゃべらないの。怒っているの?″と言われたが、怒っていないこと、むしろ平穏な気持ちでいることをどうやって伝えたらよいのか分からず困ったことがあったんです」。なぜ会話がはずまないのか考えているときにメンズリブに出会った。
 「はじめてメンズリブ沖縄の学習会に参加したときは、とても新鮮な印象を受けました。負けジャンケン※などを初めて経験して、今まで当たり前だと思っていたことが違ったことが新鮮でした」と振り返る。

 「自分自身の今の気持ちをはなすことも悪くない。最近嬉しかったこと、悲しかっことを話すことがとても新鮮でしたね」と学習会について語る。次第に、夫婦の会話がうまくいかない理由に、自分が今まで全く自分自身のことを人に話すという訓練をしてこなかったことがあるのではなないかと感じるようになった。「同僚とは仕事の話、ゴルフの話、経済の話などをしていても、いざ、家庭で妻と話すとなると、何をはなしていいのかわからなくなっていることに気づきました」と話す。

 メンズリブ沖縄の活動をするようになってから自分に変化は?との質問に対しては「会話のどの点に問題があったのかを人と話すようになって、どうすれば解決できるかの方法を知ることはできた」と答えた。「でもうまく実践できているかというと、それはまだまだですけどね!」と少し笑みをみせた。
 「私もそうでしたが、若い頃は特に自分を?強い男″か?男らしい男″という方向性で表現することにこだわりすぎてしまいます。男らしくない部分が自分にあることを自分自身がよく知っているはずなのに、ありのままの自分から目をそらしてしまいがちです」と指摘する。

●感情を言葉にする提案
 これまでの活動を通して、地元の新聞に連載執筆を書いたり、最近では「夫婦ゲンカの仕方ワークショップ」をメンズリブ沖縄で開催したりと活動の幅も広がってきている。
 活動をして困っていることは?「特にないです」ときっぱり。「むしろ2ヶ月に1度の学習会はとても楽しみです」と話してくれた。
 現在の職業は、沖縄本島北部、本部町の小中学校の学校事務。また、学校事務職の労働組合にも参加している。「以前、開催した男のための夫婦ゲンカの仕方ワークショップの話は同僚の間でも話題になりました。男性だけでなく女性もそれぞれの夫婦とのケンカについては、どうしたらいいのか関心が高かったです」と話す。
 「でも興味はあってもワークショップに参加しようとする男性は少ないです。今、私たちが行っている活動を文字に表して、例えばガイドブックの発行など、少し違った形で表現することも必要になるのかなと感じています」と現在の課題を話してくれた。「これからは、子どもも含めた男たちのコミュニケーション技術の向上に役立つ活動を行いたいです」と意欲もみせた。

 最後に、濱川さんから読者へのメッセージを聞いてみた。「男同士の話は、仕事のこと、スポーツのこと、社会の出来事や経済のことが中心。自分の気持ちを話すことってなかなかない。男性も自分の気持ちを言葉に表現することも必要なんですよね」と語ってくれた。「それぞれのパートナーと最近うれしかったこと、悲しかったことを話し合ってみてください」とメッセージを寄せてくれた。
 勝ち負けや上か下かの話ばかりでなく、生活の中から感じた気持ちを言葉にする男性への提案。濱川さんのメンズリブ沖縄での活動にこれからも期待したい。
 ※負けジャンケン…ペアになり、一方が?ジャンケンポン″と出したあと、もう一方は後出しわざと負けるジャンケンゲーム

メンズリブ沖縄学習会
■日 時:奇数月の第2土曜日  18時30分〜20時30分
■場 所:沖縄県女性総合センター「てぃるる」交流サロン
■問合せ:メンズリブ沖縄  e-mail:sakae_ar@ybb.ne.jp

療育ファミリーサポートほほえみ サポーター 知念美也子さん

 

 

NPO との出会いをきっかけに

 今回のぼらんChuは「療育ファミリーサポートほほえみ」(以下、「ほほえみ」)でサポーターとして活動する知念美也子さん。

●ほほえみの活動について
 知念さんは、ほほえみのサポーターとして昨年六月の会発足から加入している。ほほえみは、障がいや病気を抱える子どもとその家族をサポートする活動を展開しており、具体的には、見守りや預かり、送迎や外出援助をしている。サービスの特長としては、支援費制度による福祉サービスが、障がい児本人に限られて提供されるのに対し、ほほえみでは子ども本人を取り巻く家族や兄弟姉妹のサポートも行っている。「兄弟姉妹の登下校の送迎や、送迎の間の子どもの見守りなど家族を支えることで、自宅での療育をサポートすることができる」と活動の意義について説明する。

●ボランティアとの出会い
 ほほえみの活動への出会いは、二〇〇五年二月に開催された「私らしさ発見ボランティア・NPO出会い市」でほほえみが出展するブースに訪れたことから。この出会いが「ある意味衝撃的だった」と振り返る。知念さん自身も現在二歳の長男を子育て中で、当時から子育て支援については興味を持っていた。そんななか、ほほえみと出会った。ブースにはほほえみの代表者の方の亡くなったお子さんのアルバムが展示されており、アルバムを見て、涙が止まらなかったという。「自分も子育てに悩んでいたけど、社会には人の助けの手を必要としている人がたくさんいるんだ。強く生きている人たちがいるんだ。」と強く心に響いたという。「障がいを持つ児童や家族をサポートする団体はほほえみが初めてだと知って、どうしてこれまでなかったんだろうと考えさせられました。ほほえみのような活動をもっと社会に知ってもらいたいと思ったし、長く続けてほしいと思った。」と活動に参加した動機を語ってくれた。

●活動から学ぶこと
 ほほえみとの出会いから数ヵ月後、ほほえみが主催するビーチパーティーでのこと、ダウン症の子どもを抱える母親からとても喜ばれたことを振り返って知念さんは「家族は一日中付っきりで子どもを見ているので、大変だろうなと感じた」と話す。「少しの間でも誰か他の人に預けることができたら、気持ち的にだいぶ楽になれる。これは、障がいの有る無しにかかわらず、子育て経験者なら誰でも感じること」と、自身の子育てと照らし合わせながら指摘する。
 「ほほえみでの活動は、自分の子どもとの接し方を見つめるきっかけにもなるし、また、自分の子育て経験が、利用者の子どもとの接し方にも活かせることもあり、勉強になる」と活動の効果について聞かせていただいた。

●NPOでの活動について
 NPOでの活動については「いろんな人との出会いがあって楽しい。世代や価値観も様々な人たちが、ある『やりたいこと』が一緒というだけで集まっている。入り口もきっかけもバラバラなので、メンバーと話をするのが楽しみ」とその魅力を語る。「ほほえみの活動場所は月一回の定例会をのぞいては、それぞれの場所での活動となるのでメンバーともこれからゆっくりと知り合っていきたい」と話してくれた。

●今後の展開について 
 知念さんは昨年十二月まで沖縄県福祉人材研修センターで福祉職の就職についての相談に応じる相談員を務めていた。ほほえみの活動も「自分ができる範囲で」と土・日曜日を中心に活動してきた。ほほえみのNPO法人化に必要な申請書類の作成なども手がけてきたが、「もっとほほえみの活動に時間をかけていきたい」と退職を決意。ほほえみで新たなチャレンジをスタートさせている。
 今後の活動については「年度末にもNPOの認証を取得するので、委託事業の受託も考えている。地域で障がいのある子もない子も一緒に参加できる場をつくる予定もある」と抱負を語る。
 一つのNPOとの出会いから一年。いきいきとこれからについて語る、知念さんの「ほほえみ」にこれからが楽しみになってくる。

琉球大学ボランティアサークル 佐脇広平さん

 

 

ニーズが入ってきたときに、スイッチが入るようにしておきたい

 通称「琉ボラ」と呼ばれる琉球大学ボランティアサークルの活動の主な柱は、毎月第2金曜日の国立沖縄病院筋ジストロフィー病棟の人たちとの交流会「ゲッコーズ」、ビーチクリーン、県内作業所での活動や宜野湾市社会福祉協議会から来るボランティアニーズに答えていくこと。今回のぼらんChuは、2002年から同サークルに関わり、部長も務めたことがある佐脇広平さんです。

●ボランティアとの出会い
 「気づくと好きになっていた」という佐脇さんは、高校生のときにボランティア活動に出会った。ミッション系の学校に通っていたこともあり、カリキュラムの中に「社会奉仕活動」というものがあった。学校と提携している施設へ行き、お祭りを手伝ったり、レクリエーションをいっしょにやったりと、今でいう『職場体験』のようにボランティア活動を行っていたという。「やらされている」感もなく、楽しんで活動をしたそうだ。
 琉球大学に入学し、 「ボランティアサークルがあれば入ろう」 と思い、今の琉ボラの中心メンバーとなっていった。

●自分にとってボランティアとは
 「普通の人が『人のため・社会のために!』とか、『何かしよう!』というように『ボランティア』に目覚めていったわけではなく、自分にとってボランティアは自然な感じ。毎朝ジョギングやっている人のように、ボランティアをずっとやっていないと寂しくなる」「需要があるときに、自分の求めているところにおさまりたい。人手を求めているところに行きたくなる」と話し、自分の中のボランティア感を表現してくれた。
 ボランティアをやってて楽しいポイントは、仲間がいるから楽しいということと、 「サボるかどうかも含め全て自分の裁量にまかされる中で、クタクタになるまで役に立てるということ」と答えてくれた。この充足感がポイントのようだ。

●ボランティアとして思うこと
 数多くのボランティアをしてきて、『嫌なボランティア活動』に遭遇することもあるとか。しかし、「嫌だ」「やらなきゃよかった」と思うことはなく、「つらいことは、人生勉強の引き出しに放り込む」のだそうだ。活動によっては、駐車場係など「なんでボランティアにさせるのだろう。バイト雇ってやった方が効率的だろう」と思うこともあるけれど、ボランティアとして任されたら、「いかに効率的に車を誘導できるか」と考え、自分のオリジナリティを出して動き楽しむそうだ。

 また、「ボランティアを依頼する側の、人を使うことのうまさ、へたさがわかるようになる」とのこと。例えば 、「集合場所に(依頼する側の)スタッフがいない」 「活動する内容の説明が少ない」など。「仕事をする意義とかも、バイト以上に説明した方がいいと思う。意味があるんですよって」と話し、「特に(毎年やっている)大会系のボランティアは、もっと現場のボランティアの声を拾ってほしい。自分達の声をフィードバックさせたいと感じているが、少なくとも主催者側が、参加しているボランティアの声を積極的に聞き、反映させようとしているようには感じられない・・・」とボランティアの現場の声をリアルに語ってくれた。
 「ボランティアで来ているからには、自分が機能したい」と語りながら、自分が機能できた話、できなかった話などを聞かせてもらった。

●これからの将来
 「ボランティアをしている自分が必要。だけど、人生のミッションではない」とはっきりと述べ、NPOで働いたり、自分で団体を立ち上げたりしたいとは思わないとのこと。将来は、生き物に関することを研究する研究者になりたいそうだ。
 けれども、ボランティア活動をやめるかというとそうではなく「自分の中に『ボランティアをする』という引き出しを置いておきたい。ニードが降って来た時に、スイッチが入るようにしておきたい。いつでもボランティア活動ができるかもしれない普通の人でありたい」と語ってくれた。

私らしいお産を考える会 安里千恵子さん

 

 

大切なのは出産するその時ではなく、その過程です

 「はじめての出産のときは、お産を自分のものとして感じることはできませんでした」。そう語るのは、「私らしいお産を考える会」の代表をつとめている安里千恵子さん。私らしいお産を考える会は、アクティブバース(産む人と赤ちゃん主体のお産)を通して、自分の体を見つめなおし、出産や育児、女性としての生き方などを考えながら、全ての妊産婦とその家族に必要な情報がいきわたること、妊産婦の産む力と赤ちゃんの生まれる力を引き出せるお産を目指して活動しているNPO。安里さんは代表として、1997年の団体の発足以来、出産に悩みを抱える女性へのサポーターとして日々活動している。

●お産の経験から
 「私自身、子どもが生まれて、すぐに抱っこしたいのに抱っこできないという病院の状況に、少し寂しい思いもしました」と当時を振り返りながら、お産を取り巻く状況は、私たちがイメージしている以上に、厳しいことについて語った。「病院などの医療機関が主体のなかでは、妊婦さんが自分の要望を、医療スタッフに言うことは勇気がいる。言える人はまだほんの一部で、受け身的な出産に戸惑った人も多いんじゃないでしょうか」と指摘する。
 安里千恵子さんが、この会を立ち上げたのは自身の出産の体験がきっかけ。第2子の出産のときに、第1子の出産の戸惑いという体験がどうしても頭に残ってしまい、できる限り自分の望む出産をしたいと思うようになった。「私にとって一番リラックスできる環境で、産んだ直後から十分に赤ちゃんとふれあえることが希望でした」。安里さんはその希望を実現するため第2子は、助産師の介助で自宅で出産した。
 「第2子の出産の時は、本当に自分自身、納得したなと感じました。とにかくお産に関する情報を集めまくりました。そのとき、病院以外でお産ができるということも知って、最初は自宅出産を希望する母親達で必要とする情報を発信しようとお産体験を語り合う会をもちました。そのことが『私らしいお産を考える会』のきっかけでした」と当時を振り返る。

 現在は、「出産の場所」にこだわるのではなく、出産を予定している母親が自分の体にもあった望む出産のあり方を選択できるよう情報提供と相談によるサポートが中心。定例会も2ヶ月に1回開催している。
 「大切にするのは出産するその時ではなく、その過程です。やっぱりより安全で心地よい出産をするためには、自分がこの子を産むんだという意識を持つことが大切ですね。まずはからだ作り。しかし陣痛時の過ごし方や、産むときの体位、医療介助のあり方など、妊産婦が希望を持っていても、病院側の事情や妊婦自身のからだや胎児の状況などによって、希望した事が必ずしも叶うわけではありません。逆に叶わない希望の方が多いのかもしれない、そんな中で叶わなかった思いや、悔しい思い、そこから学んだもの、そしてそれらの経験を通して成長し、母親として歩んでいく女性を『会』では共に支えあっていきたいと考えています」。一人の女性として出産という大切な「過程」を、自分が望むように実現することのたいへんさを述べてくれた。

●これからの活動
 日々活動中の安里さんの今の目標は、くる12月3日の「誕生死セミナー」の成功。「定例会の場やメールで妊娠の相談を受けるなかで、生まれる前に子どもが亡くなってしまったという話が出てきます。お産に向き合えば向き合うほど、お産は『生と死』の表裏一体であることを感じてきました。子を亡くすという悲しすぎる体験をしたとき、どのように受け止めていけばよいのか、また周りにいる自分や私たちの会で何ができるかを考えていました。」とセミナーを開催するきっかけを語る。  
 「日本では『死産』と言ったりもしますが、英語では『STILLBORN』と表現します。意味は"それでもなお生まれてきた"という深い意味があります。どんなに短い命であろうと確かにこの世に存在した大切にすべき子どもである意味が込められているんです」。

●安里さんの原点
 「20歳のときに参加した戦跡めぐりがすべてのはじまりでした。そのときの沖縄戦の悲惨さから強く感じたことは、一人ひとりの命の重み。自分の意見を言えるこの時代、今ここからは自分が何を感じているかを常に見つめ、おかしいと思うことに目をつぶらずきちんと表現していくことが大切と思った」と話す。その時の経験が今の安里さんの原点のようだ。

NPO法人おきなわCAPセンター、沖縄県職員労働組合女性部 宮国 幸子さん

 

 

『ゆったりと子どもに関わることができるようになりました』

 沖縄県女性相談所で相談員として勤務する宮国幸子さん。県の職員として女性と子どもに関わる仕事にたずさわっている。「仕事をしていて何より女性が働き続けることの大切さ、経済力をつけることの大切さを感じます。母親をみてそう思いました。女性は一人でも生きていける力をつけるために働き続けなければいけないって。」
 現在は県職員労働組合女性部とNPO法人おきなわCAPセンターでの活動が中心。「働き続けなければ・・」そう感じるなかで、宮国さんの目の前に組合女性部の活動があった。組合女性部では職場環境の向上の他に、那覇市内の特別養護老人ホーム「首里厚生園」でボランティア活動をしている。

 女性が働くためには、子どもの保育も重要な問題。宮国さんは城南小学校学童クラブを立ち上げたのだ。「働き続けるためには、幼稚園の午後をどうしようかという問題にぶちあたりました。学童クラブを作らないかと呼びかけてくれる方がいて保護者数人で学童保育を立ち上げました。」。その頃の学童はほとんど自主運営で、資金繰りはとてもたいへんだったとか。

 宮国さんのもう一つの活動は、NPO法人おきなわCAPセンターのスタッフ。副代表も努めている。CAP(Child Assaultt Prevention)とは、の略称で一九八五年に日本に紹介された、子どもへの暴力防止のための教育プログラム。子どもはもちろん、大人に対してもワークショップを開いている。「家庭内での暴力に直面するなかで、 大人にこそCAPのワークショップが必要ではないかと日々感じています。CAPの考え方は自分の仕事の基本となっています」。

 「活動は仕事の都合でなかなかいけないことが多いです。だけど土・日曜日を活用して大人ワークショップへの参加は協力しています。月に三回くらいCAPの活動をしていますかね」と仕事とボランティアの大変さについて語った。
 もともと福祉を専門的に学んできたわけではないという宮国さん。CAPに関心を持つようになったのは、十数年前に実務学園(現在の若夏学院)での勤務がきっかけ。その時に子どもの非行の問題と女性の問題はつながっていることに気づいたから。

 「そこの子どもたちの生育歴をみていると、非行問題の背景には家庭中での暴力の問題があると感じていました。子どもたちが非行に走る問題と女性が自立できない問題はつながっているのかもしれないと思っていました。」
 その後、児童相談所に配属になり、宮国さんは精和病院の長田先生と共に勉強
会に参加し、その中でCAPプログラムと出会う。仲間と共に県外で開催されているCAPスペシャリスト養成講座にも参加。その後一九九六年に「おきなわCAPセンター」を設立した。沖縄でCAPスペシャリスト養成講座を開いて仲間を増やしていった。

 「私の場合はボランティア活動は私自身の必要から発生しています。誰かのためとか意識したことはないかな・・。ただ私にとって必要だったから」。ボランティア活動を通して、母親としてゆったりと子どもと関わることができるようになったと話す。また、「ボランティアを続けていてたいへんなことは時間のやりくりです」と素直な感想
も聞かれた。

 活動をしていて一番良かったことについては、「ボランティア活動ではたくさんの仲間に出会えることができました。家庭と仕事で時間的余裕がなくて苦しいときもあったけど、でも今でも続けているのは、仲間がいてくれたからだと思います。いろんな人に支えられてきたんですね。」と語った。
 活動の原点は人さまざま。宮国さんの原点は女性が働き続けることができる社会であってほしいという想い。ぼらんChu宮国さんの熱い想いが伝わってきました。


那覇災害救援ネットワーク 救急救命士 松田 香代子

 

 

『身体でおぼえることがいいですね』

 沖縄県那覇市を中心に活動するNPO「那覇災害救援ネットワーク」で救急救命士の資格を活かして、地域の人々に救急救命法を教える松田香代子さん。「将来は消防士になりたい」と勉強に励むかたわら、市内の公園を中心に救命法を教えるボランティア活動をしている。 「前までは、車の教習所やダイビング教室といったところでしか関われなかったが、団体では、一部ではなく地域住民ができるだけ身近に感じてほしいと思って活動しています。」

 沖縄で災害といえば台風。なかなかピンとこないかもしれませんが、地震の危険性だってじつはある。「人の命に関わることだから、最初は抵抗を感じる人もいるけど、一度救急救命の講習を受けると、地域の方は身近に感じてもらえることが多い」と活動の意義を語った。 
 「活動を始めたきっかけは、消防をもっとに身近に感じたいと地域の消防団に応募したことから。ぜひ自分の住んでいる地域で災害を身近に感じてほしい」

 普段活動していて難しいことは、今まで習ってきた技術を人に伝えることだとか。 「習うことと教えることはぜんぜん違う。教える方がとても難しいですね」と語った。
 「救命士という資格をもっていることで、仲間が増えたことがうれしいです。自分の好きなことをやりたいし、知識を活かすにはこの団体で活動することが自分に一番あっています」

 防災をもっと身近に感じてほしいと、これから、警察と協力して小学校区を中心に防災マップをメンバーと作っていこうと取り組んでもいる。そんな素敵なボランChu、松田さんは今年の4月に救急救命士の資格を取得したばかり。「消防の世界って女性が入れる入り口が狭いとも言われているけども、でも救急救命士の仕事はかっこいい!」
「自分にとって身になる資格を取ることで、いつまでも働くことができるし、子どもときから憧れていました。」

 現在は那覇市を中心に活動しているが、いずれは沖縄県全体にこの災害救援ネットワークを広げていくことが団体の目標。
 「もし災害が起きたと きは自分がどう動くかで、家族とかの身近な人の被害を最小限に押さえることができます。知識があれば自分の大切な人を守ることもできるんです。」 救急救命士として尽きることのない想いと情熱が彼女のボランティア活動の原動力のようだ。

佐敷干潟と遊び学ぶしあわせまねきの会 鹿谷麻夕さん

 

 

『自然保護って、ほんとうは人間に働きかける活動なんですよ』

 沖縄本島南部の佐敷町。中城湾の雄大な風景を眺めると、そこには沖縄でも数少ない泥干潟が広がっている。なんと3万年の長い時間をかけて佐敷干潟はつくられた。
 この佐敷干潟でさまざまな生き物の様子の案内係を努めているのは、鹿谷麻夕さん。「佐敷干潟と遊び学ぶしあわせまねきの会」のスタッフとして干潟の案内をしている。しあわせまねきの会とは、佐敷干潟を活動拠点に干潟にどのような生物がいて、どのように暮らしているのか、遊びながら学び、知り、守っていこうと、佐敷町内外の有志が集まり設立されたNPO。鹿谷さんは、約2年前から、このNPOの活動に参加している。ここでは主に、干潟の観察会の講師として、専門知識を活かしながら、子どもや大人に、干潟に住んでいる生き物がどんな暮らしをしているのかわかりやすく説明している。また、学校での環境教育の講師など、県内各地の海で自然の案内人として活躍。

 沖縄の自然体験の活動に関わるようになったのは、2001年頃から、県が主催する自然体験活動指導者養成講座を受講したことがきっかけ。この講座をきっかけに、沖縄の自然を案内する活動をはじめた。
 もともとは東京都出身という鹿谷さん。「東京で一度会社勤めをしていたんですけど、ある時海の生き物のことを学びたくなって、それなら、サンゴ礁のある沖縄がいいと思い12年前に沖縄にきました」と振り返る。
鹿谷さんはもう一つ、沖縄本島北部、辺野古の海で実施されている、日本自然保護協会が主催するジュゴンの食草(海草)に関する市民調査にも参加している。「沖縄のサンゴは激減していることを実感しています。護岸が増えて自然のままの海岸も非常に少ない。佐敷の干潟も周囲の開発などで大きく変化していますね。本島北部の海草藻場は良好な状態で残された貴重な自然です。」

 沖縄のサンゴの保護はニュースなどで県内でもよく知られているが、藻場や泥干潟の重要性についてはあまり知られていない。実際、埋め立てで沖縄の干潟は減少しているという。しかし、佐敷干潟の観察会に参加してみると、多くの発見に出会うことができる。カニの行動の習性や、泥の中の生き物など。しかしその姿も年々変化しており、生態系への影響が心配されている。「琉大の学生時代に学んだ佐敷干潟など、沖縄の海に恩返しのつもりで、今活動しています」と語る。
 一時期、東大の海洋研究所で海洋生物の研究を行っていたという鹿谷さん。現在は、研究活動は休止し、市民活動中心の毎日を送っている。「環境問題や自然保護に取り組む市民活動では、対象となる環境のことを科学的にしかもわかりやすく伝える人がまだ少ない」と鹿谷さんは指摘する。「今は自分の研究活動よりも、地元の人たちに、沖縄の自然の本当の姿や仕組みを理解してもらうことが大切だと思っています。」と続けてくれた。

 「自然保護活動って、実は今までの人間の考え方や行動をいかに変化させていくかが大きな問題なんです。自然を相手にするだけでなく、人間に対しても、わかりやすく主張していくことが一番たいへんなことです」と活動の難しさについても語った。
 鹿谷さんは、沖縄リサイクル運動市民の会で「買い物ゲーム」のファシリテーターとしての顔もある。「本土出身なので、いろんな活動を通じて、地域と私がつながっていければと思っています。活動をしていてよかったことは、人脈がひろがったことです。」
 夫婦で海の自然観察会の講師を努める、鹿谷さんの今後の活動については、海をフィールドにする仲間と近々NPOを立ち上げる予定になっている。団体名は「海の自然史研究所」。「沖縄を起点に、科学的な視点で海の成り立ちや生態系について研究を行い、その研究成果をベースにして、海の環境教育を各地で行っていきたい」と目標を持っている。

 「自然を見るときは、ただ鑑賞するだけでなく、その自然の仕組みや成り立ちを考えてほしい。沖縄の自然は本当に危機的な状況になっています。」と最後に力強く語った。
 自然環境はその地域独自の生態系によって支えられている。鹿谷さんは生態系を意識していくことの大切さを教えてくれた。

NPO 法人 調査隊おきなわ副隊長 金城 健一さん

 

 

簡単に言うと、一歩踏み出すことです!

 とても爽やかないでたちで、沖縄のケーブルテレビ番組「沖縄発!おもしろ調査隊」の21司会をつとめる金城健一さん。まわりからは「けんちゃん」の愛称したしまれている。「自分ははずかしがり屋の目立ちたがり屋なんですよ」と話しながらも「とにかくテレビに出ることが好きなので、テレビに関わることをしたかった」と語る。
 金城さんのボランティア活動は、「NPO法人調査隊おきなわ」のスタッフとしてテレビ番組の制作に関わること。「たまたま好きなことをして、それがボランティアになっているので一石二鳥です」。

 調査隊おきなわのスタッフとして関わりはじめたのは、2004年の5月頃から。活動
を始めてまだ10ヶ月。「特にボランティアをやっているという感はないんです。いろんな人と出会えることが楽しいです」と活動について語った。「NPO法人調査隊おきなわ」は、沖縄のケーブルテレビを活用した市民映像の制作に取り組んでいるNPO。学生や会社員、写真屋などさまざまな年齢や職業の人が集まり、自分たちで「沖縄」を配信しようと毎週45分間の沖縄情報番組を制作・配信している。「目には見えないけども、ケーブルテレビを通して活動をすることで、いろんな人に影響を与えているこを実感します。番組で沖縄のいろんな活動を紹介しるけど、それが見ている人たちの社会参加のきっかけになって欲しいです」。

 最初の頃は、撮影機材の準備や片づけなどの裏方の仕事から。それでもテレビと関が持てて楽しかったと振り返る。「司会という大役に抜てきされて最初は驚いたけど、今は楽しくがんばっています」。司会については、「伝えたいことをうまく伝えるという当たり前のことが一番難しいです。いつも苦労していますよ」と難しさについても語った。
 普段は県内企業の(株)仲善の社員として営業の仕事に励んでいる。以前は地元の劇団にも所属しテレビにも出演したこともあるという多彩な経歴を持つ。金城さんと調査隊おきなわに出会ったきっかけは、会社の先輩を通じて。すでに調査隊おきなわのスタッフとして活動していた会社の友人から活動の様子を聞き足を踏み入れた。「話しをきいたときは、すぐにやってみたい!と思いました」と話す。仕事でもお得意様から「テレビ見たよ」と声をかけられることもしばしば。営業の仕事にとって、ボランティア活動はいろんな人
と出会えるチャンスにもなる。

 4児のパパとしても多忙の日々を送る金城さん。「家庭もあり、仕事をしていると、どう
しても撮影に行けないときもありますけど、家族にもちゃんと活動を見てもらい納得して
もらっています。一番心配なのは、代役の司会が自分よりうまくできたら・・とは思いますよ(笑)」。
 働いても自分の好きなことを通してボランティア活動をすることはできる。忙しい毎日を送りながらも、ボランティアを当たり前のように実践しているぼらんChuの金城さんからのメッセージは、「働いていると、なかなか新しいところに足を踏み入れることは難しいかもしれいですけど、そういうときは、周りの友人を誘って2人で参加してみると、きっと新しい第1歩になるし楽しいですよ」。金城さんはこれからの社会人の新しいライフスタイルをいち早く実践しているぼらんChuの一人かもしれませんね。

 番組の放送は毎週金曜日(OCN3ch)。詳しくはHPをご覧下さい
調査隊おきなわホームページ http://chousatai21.com

おみん農園 宮本陽一さん

 

 

『究極の目標は森をつくること!』

「最初は考古学に興味があったんだけどね!でも何かこのままだと沖縄が変わってしまうような気がして環境のことにも興味がわいてきたんだよね」。
 沖縄本島南部の糸満市、ウージ畑が続く農道の途中に「おみん農園」がある。面積五〇〇坪程の農園を経営するのは宮本陽一さん。農園といってもとりわけ大きいわけでもな
いし、一見普通の畑と変わらない。しかし他と大きく変わるところ、こ
の農園が有機農法を取り入れて作物を育てていること。

 有機農法とは、農薬や化学肥料を一切使わず、生き物からできる有機物(動物の糞や枯草など)を肥料に作物を栽培する農法。化学肥料だと作物の成長は早いが体だけが大きく、
有機作物に比べ栄養価が低くなるとか。
 「でも一番の問題は農薬や科学肥料は環境への影響が大きいことなんだよ。基本的に土というのは土の中の生き物が作っていて、農薬は土の中の生き物までも殺してしまうこと
になる。根本的に意味のないことをしているんですよ」。有機物を使った肥料が野菜、土の中の生き物両方にとって栄養になるから、環境への影響がとても少ないそうだ。

 沖縄の農業の現状として農薬・化学肥料を使用することが普通。使っていない人が少ない。そこに疑問を持ったのも、農園を始めたきっかけの一つ。
 農園を初めてからまだ三年。以前は土地を借りて作物を栽培していたが、去年からこの場所に自身の土地を持ち本格的に農園をスタートさせた。最初のきっかけは大学時代に環
境破壊・公害の講義を受けたことから。「講義を通して世の中の矛盾を知ったことから、自分は_そうではない生き方_をしたかった」と語る。「サークルで知り合った熱い友人が、このままだと沖縄の環境が駄目になってしまうと言っていた。」その友人もきっかけの一つだそうだ。

 最近から小学校で子どもたちの前で環境学習のボランティアを行っている。「畑にはいろんな虫がいて、むやみに虫は殺さないでも農業はできるし、おいしい野菜も食べられる
んだ」と子ども達に語りかける。その他にも農園を活用しての有機農業を
知る講座なども開催している。
「子ども達には最初は虫に興味をもってもらうことが入り口になる」と語る。
 宮本さんは現在三三歳。四〇歳までにはやりたいことはやろうと考えている。そんな宮本さんにこれからのやりたいことを聞いてみた。

 「やっぱり今の農園を経営を安定させて、どんどん規模を拡大していくことが目標です。まけば育つものではない。思ったように収穫までいけないことがたいへん。だけど環境のことを考えると、有機農業はやめられない。経験を積んできてだんだん作れるようになってきているし、少しずつではあるけどいい方向に向かっています。でもまだまだ修行が
必要ですね」
 もう一つの将来の目標は「市民農園」をつくること。一般の市民が参加できる市民農園を通じて有機農業の素晴らしさや、土に触れることの安らぎを伝えたいとう。「究極の目
標は森をつくることですよ」と熱く宮本さんは語る。

 以前は、環境系のNPOでも活動をしていたという宮本さん。「正直、農業やっていると金にならないことも多いからサラリーマンがうらやましいと思うこともあります。でも好
きなことをしているから楽しいですよ」。
 環境問題への取り組むボランティアの存在は最近ますます大切になっている。宮本さんの環境問題へのアピールの方法として、この「おみん農園」はこれからも有機農業に取り
組んでいくでしょう。

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